日本刀・鎧兜
Sord & Armor
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鎧兜とは
鎧は、矢や刀などの武器から身体を守るための防具、兜は頭部を保護するための武具を指します。これらを含む全体の防具を「甲冑」と総称します。
近年では鎧兜を目にする機会は減りましたが、今でも5月5日の端午の節句に飾られる五月人形などで見ることができるでしょう。日本では江戸時代から鎧兜を厄除けとして飾る習慣があり、それが現代まで受け継がれています。
戦乱の時代、多くの武士の命を守ってきた鎧兜は、時代の変遷とともにどのように役割を変えていったのでしょうか。その歴史を紐解いてみましょう。
鎧兜の歴史
弥生~奈良時代
鎧兜の歴史は弥生時代まで遡ります。この頃の甲冑は木製が主流でしたが、古墳時代に入ると「短甲(たんこう)」と呼ばれる甲冑が用いられるようになります。短甲は腰から上を防御するための甲冑で、同時に中国大陸から伝来した「挂甲(けいこう)」も使用されました。
奈良時代には、中国の唐からもたらされた「綿襖冑(めんおうちゅう)」が普及。布製であり、防寒具としても機能していたため、北東アジアの寒冷地で好まれていたようです。
平安時代
武士の台頭と共に、騎馬武者が戦いやすいよう改良された「大鎧」が登場します。大鎧は、小札(こざね)や絵韋(えがわ)など5つの素材で構成され、保元の乱や治承・寿永の乱で使用されました。この時代の戦闘スタイルに適した構造で、肩から吊るす大袖や、腰から垂らす草摺(くさずり)が特徴です。
鎌倉~室町時代
戦場が山城へと変わると、徒歩での戦闘に適した「胴丸(どうまる)」が登場。胴丸は着脱が容易で、軽量で安価だったため、下級武士から上級武士にまで広く用いられました。装飾が華やかになり、鎌倉時代後期には色彩豊かな威(おどし)が登場。次第に「腹当(はらあて)」や「腹巻(はらまき)」といった防具も普及し、南北朝時代には戦乱の増加に伴い、簡便な防具が求められるようになりました。
安土桃山時代
1543年に鉄砲が伝来し、戦闘様式が変化。これに対応するため、鉄板を多用した「当世具足(とうせいぐそく)」が開発され、籠手や佩楯(はいだて)、脛当(すねあて)といった防具が備わり、顔面や喉を守る「面頬(めんぽお)」も使用されました。
江戸時代以降
江戸時代には、実戦の機会が減り、鎧兜は儀式や装飾の役割を持つようになります。しかし、幕末の戊辰戦争で再び鎧兜が必要となり、甲冑師への注文が急増しました。
明治維新以降、日本の鎧兜は武具としての役割を終えました。
世界の甲冑
防御の役割を果たしつつ、その美しい装飾性にも注目されていた甲冑。世界各地では、歴史や戦闘スタイルの変化に伴い、独自の進化を遂げた様々な甲冑が作られてきました。
西洋
西洋の甲冑といえば、全身を金属で覆う「プレートアーマー」を思い浮かべる方が多いのではないでしょうか。このプレートアーマーは、着る武器としての役割も果たし、籠手には短剣やスパイク、メリケンサックなどの武器を装着できました。
プレートアーマーは甲冑の最終形態とも言え、その特徴は優れた防御力にあります。肩や肘などの関節部分は、鋲で連結された数枚の鉄板によって守られ、肌の露出を防ぎながらも関節の動きを妨げない構造になっていました。また、ヨーロッパでは甲冑製作の技術が非常に高く、名工と呼ばれる職人も存在していたそうです。
次第に甲冑は、騎士にとって「高価な装飾品」「ステータスシンボル」としての側面が強くなり、戦闘用具としての役割は終焉を迎えます。儀礼用に装飾が施された「パレードアーマー」は、現代でも貴重な美術品として珍重されています。
中国
南北朝時代から唐代にかけて用いられた「明光鎧(めいこうがい)」は、三国志の武将たちが身に着けた鎧として知られています。この明光鎧の特徴は、胸部と背中を守る大きな楕円形の鉄板「護心鏡」。この鉄板が光を反射することが、明光鎧の名前の由来です。南北朝時代には、明光鎧を着た北周の将軍・蔡祐が「鉄猛獣」と恐れられたという逸話も残っています。
また、三国時代から南北朝時代の初期に作られた「筒袖鎧(とうしゅがい)」は、全身を鱗状の金属片で覆う高い防御力を誇る鎧です。袖も付いており、頸部や上腕部、脇の下までしっかりと守られていたため、その防御性能は非常に優れていたとされています。
エジプト
古代エジプトの装備は、比較的簡素なものでした。中王国時代までは、兵士たちは腰布一枚のみで戦っていたのです。
しかし新王国時代に入ると、皮革や綿を詰めた衣類の上に、鱗状の金属片を綴り合わせた甲冑「小札鎧」を身に着けるようになりました。
モンゴル
幼い頃から馬術や弓術の訓練を積んできたモンゴルの兵士たちは、戦闘技術が非常に高いことで知られていました。彼らは通常、鎧を着用せず、厚手の革製フロックコートを着て戦闘に臨みました。矢の攻撃から身を守るため、シルクの上着や詰め物を施した防具を着用していたとされています。
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