時計の誕生&仕組みについて
こんにちは。駒沢大学駅前の買取専門店『ゴールドパーチェス』です。
普段何気なく付けている時計、どのようにして生まれ、どのようにして今の形に辿り着いたか気になったことはありますか?
今の時代スマートウォッチや機械式時計、ソーラーなど多種多様な時計が広まっています。そこで今回は時計がどのように生まれたのかをご紹介させて頂きます。
そもそも時計とはどのようにして生まれたのか?
時間の話しから遡ると時間が足りなくなってしまうのでそれはまた別の投稿でご紹介させて頂きます。
まずは時計の歴史を紐解いて行きましょう。
なぜ時を測る必要があったのか…それは『農業』が理由だと言われています。
種を蒔いて、収穫するまでの時間(季節)というものを把握するためだと言われています。
始まりは紀元前3500年代のメソポタミア文明や紀元前3000年代の古代エジプト文明では『太陽』と『影』を利用した【日時計】という方法が使われていました。
日時計
現代でも公園などで日時計を設置している場所もあるので見かけたことがある方もいるかもしれません。
今では時計で時間を見ることができ、スマホで思い出を残すことができ、コンビニで温かいご飯を簡単に買うことが出来ますが生活のひとつひとつを辿れば先人の努力や知恵のお陰であることがわかります。
今では私たちの常識である『1ヶ月・約30日』という認識もメソポタミア文明を築いたシュメール人はすでに使用していたという記録も残っているほどです。
今の時代、人生を送る中で時間や季節、年数を把握することが当たり前のようになっていますが、改めてそれはすごく重要なことに感じられませんか?
時間を把握するために作られた日時計ですが難点もあったそうです。曇りや雨などの悪天候、建物内での使用が出来ませんでした。
そこで次に生み出されたのが【水時計】です。
水時計
水時計とは底に穴が空いており、日没とともに底の栓を抜いて、水面の高さの『変化』で時間を測る物です。
紀元前1400年頃(エジプト)から使用されていた記録が残っていて、主に夜用の時計として使われていたと言われています。
ギリシャ方面ではクレプシドラ(ギリシャ語で水泥棒という意味)と呼ばれる水時計が使われていたそうです。
この時代、時間は神のものと考えられていて当時は位が高い人しか管理が出来なかったと言われています。
日本では飛鳥時代(西暦671年)に天智天皇が中国から持ち込まれた漏刻時計(水時計)を置いたと言われています。
ですが、水時計にもまた難点がありました。
様々な季節気温がある状況では凍ってしまったり、蒸発してしまい安定して時を測ることが出来ませんでした。
この頃になると時計というものは位の高い人から科学者達に委ねられ色々な形、多種多様な形で作られていきます。
燃焼時計
紀元前600~500年頃にはランプや蝋燭(ろうそく)を用いた燃焼時計(蝋燭や油、お香や線香など様々な物を燃やして時間を測る物)が作られました。
蝋燭では側面に経過時間がわかるように目盛りを刻んでいたり、ランプに油を注ぐ容器側に目盛りをつけて、時間を測っていたそうです。
その後紀元前1400年頃には今でも馴染みのある【砂時計】が作られました。
砂時計
砂時計は水と違い、凍ったり蒸発する事が無いので安定して時間を測る事が出来ました。そのため、北欧など寒さが厳しい地域で活躍したと言われています。
特に揺れや温度にも強かったため船で時間を測る際にも活躍していたと言われています。今でもサウナなどで目にする事がありますよね。
機械式時計
機械式時計はどうやって生まれたのか辿っていきます。
機械式時計の最初の歴史は西暦1,309年にミラノの教会で使われていたという記録として残っていたそうです。また現存する最も古い時代の機械式時計はパリのシテ島の宮廷と寺院に設置されている塔時計とされています。
機械式時計に限らず古くは「時は神から授けられたもの」と考えられていたので地域の中でも位の高い人々がその管理をしていましたがそれは時代と研究によって変わっていったようです。
この頃に季節や緯度によって昼と夜の時間を6等分し、一単位を「一刻」と呼んでいた不定時法という時間の測り方から1日を24時間に分けて時間を測る定時法へと変わっていったとされています。
仕事などの面でも[農業・林業・漁業]が主だった仕事であった時代から[製造業・工業]が台頭していく時代に変わって行きました。
時計も時代の変化とともに進化を始めます。小型化のスタート地点でもある【ゼンマイ】が発明されました。
ゼンマイ
「巻き上げられたゼンマイの解ける力を使って時計を動かす」
これはその当時画期的な発明でした。主流であった振り子式に比べ時計の移動や傾きに左右されずらいという利点がありました。
ゼンマイが発明されたのは西暦1,500年頃と言われておりドイツの『ピーターヘンライン』という人物が発明したとされています。ピーターヘンラインが作るより前に携帯可能な時計の記述がある文献はいくつか残っており諸説あるそうです。
初期のゼンマイは焼き戻しや焼き入れを施さない鋼で作られており一度の巻きではあまり長く動くことが出来なかったそうで1日に2回巻く必要があったと言われています。
この「ゼンマイ」ですが生み出された経緯を見て行きましょう。
何をした人かは知らない人けど聞き覚えはあると言う方が多いかも知れませんが、イタリアの物理学者・天文学者の『ガリレオ・ガリレイ』。
彼が発見した「振り子の等時性」が時計の技術進歩に大きな役割を果たしました。
その後西暦1,650年頃にはイギリスの科学者『ロバート・フック』が「振り子の原理」から「ひげゼンマイ機構」の基礎を作ったとされています。そのすぐ後にはオランダの科学者『クリスチャン・ホイヘンス』がガリレオの振り子時計を基に「振り子時計」を発明したとされています。
日本では『田中久重』という人物が制作した「万年自鳴鐘」というゼンマイ式時計が発明されており真鍮で作られたこのゼンマイは一年という長い時間稼働出来たとされています。
その後、クリスチャン・ホイヘンスは西暦1,675年にひげゼンマイによるテンプ式調速機を考案しフランスで特許を取得しています。
(前述ではロバート・フックがひげゼンマイの基礎を確立していると説明しておりますがロバート・フックは特許を取得しませんでした。)
ひげゼンマイ
ここからゼンマイの性能を超えるひげゼンマイが時代を変えていきました。
時計の内部機構である「テンプ」と「ひげゼンマイ」が組み合わせられることは当時画期的な発想でした。
これにより今では当たり前になっている「分針」という機能が生み出されたとされています。
西暦1,695年頃には、イギリスの時計師『トーマス・トンピオン』がより精度の高い【シリンダー脱進機】を発明。
32年後の西暦1,727年頃にはその弟子『ジョージ・グラハム』が懐中時計にこの仕組みを実用化したことで時計の小型化、精度が進んでいったとされています。
さて、本日は時計の歴史についてまとめてみましたが、いかがだったでしょうか。
まだまだ紐解いて行くと時計の歴史は深く長く脈絡と繋がって今の現代に繋がれています。普段何気無く付けている時計には計り知れない知識や工夫が施され今の時代に受け継がれています。
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